天皇という名を見るだけで思考停止すべきではない

「今上陛下で思考停止して良いのか?」

 


自身も今上陛下が即位以後、一度も英霊を慰霊していないことに対して想うことはある。こうした意見を「天皇」の名の下に金科玉条にして、思考停止して良いのだろうか?当然、こうした声があっても問題とは思わない。

 


天皇と雖も、律令国家を築いて太宰府防衛で領土を固めた偉大な天智天皇建武式目を定めて鎌倉幕府を打倒した中興の祖である後醍醐天皇、明治近代化で我が国を世界に伍する国にした偉大な明治大帝の名君と賢君は存在した。一方、胎児を見るために妊婦の腹を裂き継体天皇の即位がなければ皇室を潰しかけた武烈天皇、人妻だった藤原薬子と不倫関係にあり後々に災いして桓武天皇平城京に追放あれた平城天皇、父村上天皇への手紙に男性器を描いて送る奇行に及んだ冷泉天皇など暴君から暗君まで歴代125代天皇が存在する。

 


賢君に名君から暗君から暴君まで存在する以上は、一概に「天皇」で思考停止するべきではなく、そうしたどうしようもない天皇が存在したからこそ大日本帝国憲法を始め古代から摂生が活用されてきたわけである。つまり、天皇の名の下に思考停止するのではなく、各天皇の足跡から判断せざるを得ない。ただ、今上陛下が即位以降、一度も靖国神社の英霊を参拝していない以上は、こうした意見が出てもおかしくないと自分は思う。

 


なぜ事実を述べただけで、批判と捉える必要があるのか謎。批判でも建設的批判とそうでないものに峻別できるはずである。この批判ないし意見は、それこそ無意味なものではない。

 


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180930-00000017-pseven-soci