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『全く新しいガンダムの終焉』 ■鉄血のオルフェンズ第50話「彼らの居場所」

『全く新しいガンダムの終焉』

鉄血のオルフェンズ第50話「彼らの居場所」

今回、全く新しいタイプのガンダムが終わりました。主人公サイドの完敗で主人公が死ぬというガンダムで極めて珍しい最後です。
もちろん、過去にも主人公の死や敗北はありました。例えば、ポケットの中の戦争でバーニーが死んだことや、ガンダムAGEフリットが老衰しました。また、敗北エンドでも、0083やZガンダムの廃人エンド、閃光のハサウェイf:id:yuukiboubiroku:20170403015706j:imagef:id:yuukiboubiroku:20170403015727j:imagef:id:yuukiboubiroku:20170403015745j:imagef:id:yuukiboubiroku:20170403015804j:imageなど主人公側が負けて終わる内容はガンダムという作品では珍しくないのです。しかし、一期で主人公側が勝利し、二期で主人公が壮絶な最期を迎えるのはガンダム00と真逆で、近年のガンダムにない新しい展開でした。あとは、小説版ガンダムアムロリックドムに殺されるくらいで、富野由悠季監督が本当にやりたかったガンダムを、鉄血のオルフェンズはやり遂げや感じです。

さて、50話は、如何でしょうか。多くの方の心に残ったのではないでしょうか。
主人公を務めた声優さん、監督が、ガンダムとしては、新しい終わり方、でも希望は残った、劇場版をやりたい」などと発言したので、主人公サイドの敗北は決定的でしたが、もしかすると主人公は廃人ないし戦闘不能エンドかと思いました。しかし、見事に死にました。どうこれで、劇場版に繋がるの?と発言がミスリードを誘う内容か、最後までバレを防ぐ内容だったのだと、ある意味で感心しました。

彼らの居場所とは、生き残った者がみせた物語終盤で見せたように、それぞれの活躍する場所は政治家だったり、秘書であったり、会社員だったり、孤児院だったんでしょうね。
また、ある意味では、そこに繋ぐ為に死んで行った者には、地獄が彼らの居場所だったと考えたくもないような現実です。言うなれば「戦場」が彼らの居場所だったのでしょう。
でも、これって絶えず人類の歴史の中で繰り返されて来たことなので、鉄血のオルフェンズ特有の世界観ではないです。

ガンダムという政治的な話について。マクギリスの野望が、ラスタルによって達成される皮肉。これって実はよくあることです。今から70年前に、大日本帝国は、近代化の契機となった白人によるアジア、アフリカの植民地と帝国主義を見て立ち上がり、白人による黄色人種差別撤廃を求めて国際会議で発言し、大東亜共栄圏というアジア人差別のない世界を目指しました。しかし、大日本帝国滅亡後、残った日本兵の尽力と現地による独立運動、所謂、第三世界の独立は、結果的に敗戦国大日本帝国戦勝国連合国により達成されました。つまり、今回の鉄血のオルフェンズでも、マクギリスの乱は、結果的にセブンスターズ貴族主義による寡頭制を終わらせて、民主政治へと移行しました。こういう戦争の結果で見直されることは、常々なのです。

そして、悪魔の最期。今回のガンダムは全て悪魔の名前を冠していました。ガンダム00が天使の名前を冠していたのと真逆です。今回、主人公サイドのガンダムは全て破壊されました。しかも、敵の期待は、非ガンダムです。ガンダムの最終決戦で、ガンダムが非ガンダムに負けるのは珍しい展開です。もちろん、バエルとキマリスヴィダールの決戦と、ガンダム戦は49話「マクギリス・ファリド」がしました。しかし、ガンダム対非ガンダムはあって且つ敗北エンドは珍しいです。
内容としては、最期の決戦に臨むバルバトス、グシオンの二機は善戦するも、条約違反兵器ダインスレイブを大気圏外から使用強襲されて、機体が損壊します。まるで閃光のハサウェイに近い展開でした。
しかし、それでも立ち上がる悪魔のガンダムに対して一般兵は慄き「こいつた本物の悪魔かよ。。。」と狼狽します。おそらく中世の戦争、日本の源平合戦、戦国時代の武士と足軽などで大義や目的を背負って戦う身分と徴用された兵士では、思想や殺しあう目的が違うので、なぜ立ち上がるのかと慄くでしょう。
そして、グシオンとアキヒロは最期に貴族のイオクを殺して「冥土の土産」とします。イオク・クジャン最期まで憎めないキャラクターでした。悪気のない善意が人を悲しませてきた結果でしょうか。
三日月の最期は、完全に手負いの獣でした。腕が千切れメイスもないバルバトス。尻尾の武装と徒手空拳で、舞う様に、多くの敵が慄く。首を引き千切られたグレイスを見て、「悪魔」と慄くジュリエッタの言葉通りの様相。
そんな悪魔に大義を説くジュリエッタに大義の意味を理解せず居場所を理解する三日月。
俗な例えだと、ブラック企業で働く、社畜の三日月に対して、労基職員なしいホワイト企業ジュリエッタが「なぜ、その環境で働くのか」と問うのです。しかし、それは、社畜で、その会社を家族として守ることしか知らない過労死寸前の人には無意味なのです。いや、別の例えをすると、大日本帝国兵が玉砕覚悟で突撃するが、個人主義の米兵には理解できないのと同じで、命を賭けても守りたい「家族」・「仲間」がいる三日月は、大日本戦争で戦った日本兵そのものでしょう。良し悪しは別として「守る」価値観が根源的に違うのです。
最後は、居場所は初めからあったことに気付き、ガンダム特有の精神世界で、オルガと触れ合って三日月は息絶える。
その首が討ち取られるのは、西欧の古代・中世と我が国の古代・戦国に近いです。
ただ、鉄血のオルフェンズは、バエルと鳥羽伏見の戦い以降は、団長の死など新選組意識したように思いますが、最後のバルバトスとグシオンは、どう見ても源平合戦で平泉の義経と弁慶でしたね。平家追討が、MA戦での功績でしょうか。

三日月から暁へと。全ては継承し繋いで行く物語なのでしょう。月の満ち欠けのように。
でも、ガンダムってこれだから人々の心を捉えて話さない名作なんです。

あと最後に個人的な感想として。よくTwitterなどで稚拙な人が、最後に「オルフェンズの涙」をEDで流して欲しいと言いますが、論外です。
この物語は、オルフェンズ(孤児)の問題で、最後は、ラスタルとクーデリアの調印で、ヒューマンデブリ、孤児などの諸問題、貧困と鉄華団を産んだ元凶そのものが解消されます。つまり、孤児
問題解決がテーマで終わるのに、孤児の悲哀を流してどうするんです?物語ぶち壊しです。侘び寂びを理解出来ない人に物語を問うても無意味かもしれませんけどね。
それ以外でも生き残った人々で最愛の人に会えて喜ぶメンバーから戦死したメンバーを見て泣く仲間など悲喜交々でした。そんな中で、大人になりオルガの仇を討ったライド君が印象的でした。三日月の銃とオルガのマフラーを巻いて。
また、暁君が三日月とアトラそのままでした。何が人にとって大切なのかを改めて気付かせてくれた作品です。

以上です。本当に素晴らしいガンダムでした。