究極の自虐映画「空母いぶき」

究極の理想主義映画「空母いぶき」

ありがとう!こんなクソ映画を作ってくれて。イデオロギーに染まった邦画が如何に駄作なのかを再確認させてくれて感謝しか浮かばない。

せっかく、福井晴敏ローレライ(2005=平成17年)、男たちの大和(同年)で取り戻しつつあった大東亜戦争と是々非々の価値観を全て瓦解させたまごう事なきクソ映画が、空母いぶきだと確信した。

迫力があるのは戦闘シーンだけ。現代の戦闘をはじめ、空母の意義や護衛艦が、なぜ存在するのか編隊を組んで航行するのか、空自を艦隊のトップに添えるアメリカ合衆国式をはじめ、明治に端を発する長州の陸軍と薩摩の海軍のような確執が現代でも存在していることなど現代の戦争と自衛隊とは如何なる存在かをアピールするには画期的な映画であった。デコイによる魚雷撹乱、フレア弾による追尾ミサイル回避など、空母と戦闘機の戦い、護衛艦による艦砲射撃や迎撃などは極めてリアルであり、相手の戦術に対して如何に最善の策で潰すかという盤上のチェスゲームのような戦いを指揮官が判断するという臨場感は伝わった。

今まで、どんなに子どもの時から式典等では我慢する人間なので、幼少期から映画の際にトイレに行ったことがなかった。あの長いアベンジャーズ・エンドゲームでも耐えた。そんな自分が人生で始めて腹痛でトイレに避難した。この映画は垂水総理を務めた佐藤浩市氏の失言で腹痛発言に端を発して難病患者と現政権批判など前評判が極めて下がった曰く付きの映画だ。そんな映画を観るに構えていた自分が人生初の映画上映中の腹痛で中座するという悲劇に見舞われたことで自分の運の無さを痛感した。同時に、自衛隊高官など敵との戦闘中に腹痛でウンコしたくなったらどうするのか?敵との戦闘中に便意を催した場合は、強靭な鍛錬で生理現象も引っ込み収まりが付くのだろうか?などとトイレで思案してしまった。

さて、本当に酷い中身について検討したい。死ぬのは基本的に日本人の自衛官である。空母いぶきの製作陣の9割が反日自虐史観サヨクでトップの日本映画監督協会理事が在日韓国人崔洋一である。まともな作品ができるわけがない。しかも、本作品ではあり得ないが、なんと海上自衛隊をはじめ旧作のゴジラシリーズや邦画撮影に協力してきた自衛隊が全く携わっていない異色の作品なのだから無理もない。日本人が死んで喜ぶ思想ないしイデオロギーに染まった人間が嬉々として作ったと確信できる内容が随所にある。極めて悲劇的な死に方を遂げるのは日本人だけであり、謎の東亜連邦なる国の捕虜は、日本側に救出されたが妻子持ちの空自パイロットを射殺するが、その後手厚く保護されるという何とも自虐に溢れるシーンには、流石にギャグシーンか何かで爆笑すればいいのかと心底困惑した。ある種のブラックユーモラス映画で日本人が殺される度に喜んだ方がいいのかな?と錯覚するほど素晴らしい自虐的シーンが盛りだくさん。

あくまでも専守防衛憲法9条真理教に拘泥しており、自衛権と防衛行動が発動した後も、徹底しており、戦闘行為が外交問題の戦争に発展しないように務めろとという国際法や国際社会の常識から反してキチ◯イじみた理想主義が貫徹されている。19世紀覇権国家だった英国のパーマストン子爵やフランスのリシュリーでも戦争等に発展した場合は外交と政治が徹底して自国を正当化するのが背広組と為政者たる政治家であるが、日本の場合は保身と謎の外交理想論の為に現場の自衛官に死を強いるのだ。ここまで大学等の教養や大学院で学んだ国際政治学の内容からズレていると映画監督というのは白痴の中卒か何かの無学者か、わざと現場では自衛隊が無駄死にないし犬死にすると積極的にアピールしているのかと疑いたくなる。とくに、現実では害務省と揶揄されて国益を損ね天皇陛下の政治利用で悪名高くも武力がないので外交ができないで有名な省庁が、架空の設定のお陰なのか、敏腕省庁かのように働いて戦争回避に向けて国連主要国に働きかける背広組をアピールする滑稽なシーンが盛りだくさん。それに呼応するかのように佐藤浩市演じる垂水総理と閣僚が尽力し、最後は国連の介入で戦争回避という奇妙な結末を迎える。日本人自衛隊が散々殺されて、市原隼人演じる航空戦闘機が敵母艦を叩く直前で撤退命令で日本版トップガンのようなノリと戦闘機による攻撃シーンは梯子を外されるので溜飲は下がらないし最悪のままである。しかも、外交では5対5に持ち越して小国を責めすぎないという北朝鮮への配慮のような現状の政治課題に対するサヨク、韓国側のオピニオンを佐藤浩市演じる垂水総理が映画で発言しているのには唖然とした。東亜連邦とは明らかに沖縄と北朝鮮を足したような国であり、元米軍基地があった発言からも示唆される。そんな国が、反日で日本人拉致の北朝鮮側の意見を日本国総理を演じながら代弁(だいべん)するのだから、佐藤浩市が映画向けに発言した腹を壊すで大便(だいべん)でもして消えてくれた方が遥かにマシだった。散々、日本人の自衛官が殺されて敵の母艦は叩かず外交は50対50で満足って何処の自虐国家日本だよ??これなら敵の長距離弾頭ミサイルと核が日本の主要都市を灰燼にきして、やはり空母いぶきは間に合わず憲法9条と専守防衛は時代として不可能という映画にでもしてくれた方がいい。

マスコミは輿論を変えるのか?本田翼演じるマスコミレポーターが、護衛艦炎上シーンを動画に上げて垂水総理が記者会見を開くなどメディアリークが世界を変えるような知◯障マ者向けのシーンがある。自国の国益をメディアが阻害していく最たるシーンで、自衛隊のトップである内閣総理大臣が現場と意思疎通を図り指揮を出す時間を潰す記者会見など、如何に現状でTVメディアが害悪なのかを素晴らしく忌憚なく描いていた。そして捕虜に温情をかけるシーンが世界に向けて発信されてYouTubeを見た人の世論で国連が動くという奇跡的な結末を迎えるが、出血多量のグロシーンはYouTubeで即規制されるが、ご都合主義である。そもそも、YouTube動画で国連安全保障理事国が動けば奇跡である。処女懐胎ゴルゴダの丘に磔られて死んだ人間が三日後に蘇るくらい奇跡であり、孟子もウンコ漏らして歓喜しそうな性善説をブチまけていたので最後のシーンを観ながらポップコーンを吐き出しそうだった。

監督は統合失◯かと思った。こんな酷い映画をよく作れたな。冒頭の国会前デモを刷り込んだり、空母反対のデモシーンだったり、北朝鮮と沖縄による東亜連邦のような軍事独裁の小国相手に侵略を許し、自衛官は無慈悲にも殺されて外交は5対5とか無能な政府を描き切って良い仕事したみたいな感じで登場人物が満面の笑みを最後に浮かべるシーンは、幸福の科学オウム真理教創価学会みたいな宗教組織が作った布教映画の類かと困惑した。

なんで日本人自衛隊が、あんなに惨く殺されているのに外務省の背広組のボケは仕事したみたいな顔なん?また、総理はあと3年やりたいとか言ってんの?そして主人公は何で嬉しそうに腹減った皆んなで飯食おうとかドラゴンボールの悟空みたいなこと言ってんの?登場人物全員、知◯障◯者なん??理解に苦しむ映画だった。

そんな白痴向け映画の空母いぶきだが、その全てを浄化するかのような本田翼ちゃんの寝顔シーンが良かった。むしろ、この映画はこのシーンの為だけに存在する。この映画を見るくらいなら同じ時間だけ本田翼ちゃんの寝顔シーンでも眺めていた方が健全な日本人にとっては精神衛生上で良さそうだ。

「時代は理系で文系総合大学没落時代」

「時代は理系で文系総合大学没落時代」

文高理低でEラン桃山、追手門人気は、就活で苦しむ文系学生を出す無責任制度。

主流私立大学で、関東及び関西共に名門大学の志望者が減り倍率が下がる。一方、関西では再び摂神桃追などの中堅私立大学の人気が高まっている。

はっきり言ってOBが言うのもあれだけど、摂南、神戸学院、桃山、追手門など滑り止めが過熱しても実際は、ここより上が本命なので、近大、龍谷京産、甲南への人気が主軸なのだろう。しかし、かつて名門で自分の頃は、同志社大学と偏差値が変わらず立命館大学と同レベルだった甲南大学が没落したのには驚いた。もちろん、自分が受験生の頃は、京都産業大学より桃山学院大学の方が偏差値は高く近畿大学と同程度だった桃山一強時代(2004年)。その後、2010年頃から摂神追桃神戸学院一強の時代だった。また、近畿大学の大躍進と、産近甲龍で近大が頭一個抜けた時期でもある。

自分が思うに、文系の人気と書いている産経新聞に違和感がある。明らかに没落している同志社大学関西学院大学関西大学は文系の総合大学であり、薬学部創設や情報学科創設など唯一理系にシフトチェンジした立命館大学が憂き目に遭うのを避けられたと自分は見る。これは理系の総合大学である近畿大学の躍進も同様で、京都学園大学の法人が日本電産に身売りして京都先端技術大学に名を変えてわざわざ工学部を作るなど先見の明を見せたのも、ここにある。現在、摂南大学が、摂神追桃で伸びが低いが理系シフトチェンジに成功しており、文系総合大学である桃山学院大学追手門学院大学に溢れた中途半端な偏差値で、今後、就職難に遭うであろう文系学生が集中しているとしか読めない。

時代は理系であり、京都産業大学龍谷大学が理系学部ばかり作り、近畿大学を模倣して農学部を創設しているのは、明らかに低倍率だが確実に需要のある分野を狙っているからだ。今後は、立命館大学近畿大学摂南大学など理系にシフトチェンジした私学は生き残れるが、同志社大学関西学院大学関西大学甲南大学桃山学院大学追手門学院大学は文系の総合大学なので苦しめられる展開が続くことが予想され、同じく文系の総合大学である龍谷大学なんかはかなり苦労が予想され佛教大学なんかも同様で、理系が強い京都産業大学は外国語学科の強みを活かせば伸びるがいかんせんキャンパスの立地条件が最悪である。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181230-00000530-san-soci.view-000

グリッドマン最終回

「SSSS.GRIDMAN」

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平成最期の天皇陛下誕生日、疲れて爆睡し何かに呼ばれるように深夜に目を醒ますと、Twitterのトレンドワードは、あのロシアW杯MVPゴールデンボール賞に輝いたクロアチア代表🇭🇷モドリッチを抜いて「グリッドマン」「SSSS.GRIDMAN」が抑えた。いつも再放送をAmazon primeで視聴していたが、最終回ということもあり途中視聴することに。

さて、グリッドマンを知らない人もいるので説明すると。ウルトラマンで有名な円谷プロ30周年企画で1993年1月8日から翌年94年まで放送された特撮テレビ番組だ。当時、小学校1年生だった自分は土曜日の塾から帰ったらテレビ前に張り付くのが恒例だった。インターネット世界観と怪獣の戦いという時代を先取りした斬新な作品だが、商戦で失敗して打ち切りとなったが、コアなファン層を獲得したことで根強い人気を誇る。最終回視聴率は9・6%と約10%を獲得するなど子供がまだまだ元気で、新生児が100万人を切り96万人という数字を出した2018年には考えられない時代だった。

そんな電光超人グリッドマンが、26年ぶりにアニメーションで復活した。そのタイトルが、SSSS.GRIDMAN(以下、アニメグリッドマン)だ。大学の後輩から「おもしろい」と連絡があり、毎週、Amazon primeで視聴していた。

なぜ、アニメグリッドマンは成功したのか?その秘訣は、当初の企画だった大人モノから電光超人グリッドマン同様の子供向け作品に手直ししたことにあるように思う。聖書でイエスが言う「カエサルものはカエサルに」と言いように、当時の子供も含めて子供に返したのが正解だろう。観ている層は、明らかに当時理解できるか怪しい小学1年生の自分ですら30代で幼稚園、それ以上の年齢でもちょうど30歳でそれ以上はアラフォーとなっている。そこの層には哲学的なメタファーで察することを要求する作品だが、最終話12話だけが明らかに当時子供だった世代へ向けた内容となっている。虚構と現実というシン・ゴジラで話題になったキャッチフレーズだが、まさにウルトラマン以降の円谷プロの醍醐味が天長節に炸裂した。

アニメーションは、トリガーが担当。キルラキラで女性層からの人気も博したトリガーだけに期待していた。アニメーションやOPのカットが美しいと形容するしかない。そんな動くグリッドマンを、90年代を席巻した勇者シリーズ大張正己が描くのだから戦闘シーンや合体シーンは90年代そのもので古き良き平成初頭アニメーションが平成最後に見られる訳で、これに歓喜しない子供“大人“はいない。

そして迎えたアニメグリッドマン最終回。グリッドマンが活躍する世界が、徐々に現実の世界ではなく、電脳(この言葉が既にノスタルジー)ないしコンピュータワールドで作り物であることが明かされて行く。この世界は、高校生の新条アカネが神様としても作り出した世界で打ち切りとなった電光超人グリッドマン続編を、そのまま踏襲した内容となっている。
電光超人グリッドマンが、アレクシス・ケリブに敗れてSSSSグリッドマンをはじめ新世紀中学生など6つの存在に分かれて、当のグリッドマンも響裕太に宿ったという複雑な展開となっている。
最終回では、トリガー作品らしく、大団円で新条アカネにカッターナイフで刺された響裕太がグリッドマンとして目覚め、アレクシスに怪獣にされたがアンチことグリッドマンナイトに救出された後、アレクシスに吸収されたアカネを助けるために合体して本来のグリッドマンに戻るという演出で26年ぶりに電光超人グリッドマンの姿がアニメーションに復活する。その時の変身シーンは、従来の「アクセス・フラッシュ」から93年当時の「アクセース・フラーッシュ」という如何にも当時風に再現されてオッサンとオバさんを深夜26時に狂喜乱舞させる怪演を遂げた。しかも登場シーンでは、「夢のヒーロー」坂井紀雄が流れたことでTweetが懐古厨に埋め尽くされた。とんでもない原作への敬意を感じる作品となった。

スタッフから感じるグリッドマン愛。新条アカネを取り込んだことで無限の命と無限のエネルギーを有するアレクシスには、有限で命と限界があるグリッドマンでは差が明白だった。90年代の技を駆使するも再生するアレクシスに対して、相手を破壊する技ではなく、癒しと再生をもたらすフィクサービームを放つという当時懐かしの戦闘シーン後にコンピュータワールドを治す演出が26年ぶりにスクリーンを通して映し出される。しかも26年前の設定で「現実世界や人間の心を浄化することも可能」なんてチート設定が、そのまま再現されることになった。どこまでスタッフの愛が深い作品なのかと驚嘆した。どうせ、ここまで今の深夜アニメを観ている高校生や大学生には、絶対に分かりっこない演出を、これでもか、と流し続けるスタッフに脱帽した。僅か12話だが本当に続編なんて不要なくらい綺麗に終わった。

最期にヒロインの宝多六花に別れを告げて現実世界で目を醒ます新条アカネ。グリッドマンフィクサービームにより世界そのものが浄化された。アレクシスを捕縛したことで、この世界に存在は不要と語り、目覚めない裕太を六花、内海将に託して別れの言葉を告げて去る。

全てのアニメーションとEDが終わり、最後に現実世界で人間版の新条アカネが目覚めるというメタファーは、最終話タイトルの「覚醒」に隠喩されており、1話タイトル「覚醒」からの大きな伏線回収となった。26年の時を経てグリッドマンがクリスマスに返ってきた。
近年では、アニメゴジラをはじめ、後味の悪い最期を迎える厭世的なアニメが人気となった。民主党政権円高不況、自殺率が高い時代だけに今思えば負の遺産とも言える禍々しい時代。そんな鬱蒼とした時代とは別に、大団円で誰もがハッピーエンドを迎えるも道徳的な夕方5時の子供向け番組を完全に、リバイバルした意義は大きい。そうした大人のメッセージは、今の子供や当時子供だった大人に必ず届いただろう。なぜなら、Twitterトレンドランキング1位が「グリッドマン」なのだから。

推しが!死ぬぞ!覚悟はいいか?俺は既にできているッ!!

 

 

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ジョジョの奇妙な冒険第5部!」(推しが!死ぬぞ!覚悟はいいか?俺は既にできているッ!!)

ついに始まりました。いや始まってしまいましたよッ!!ジョジョの奇妙な冒険第5部です。原作連載開始は、1995年で終わりは1999年と86年生まれの自分世代にはドンピシャですね。

ちょうど自分が少年ジャンプを本格的に読み出したのは、この95年です。ドラゴンボールの連載が終わるこの頃です。とっても!ラッキーマンみどりのマキバオーるろうに剣心、地獄先生ぬーべー、キャプテン翼、新ジャングルの王者ターちゃんダイの大冒険忍空などが記憶に残っています。一番、記憶に残ってるジョジョは、4部のラストが読み始めの94年頃で、次は封神演義の関係で立ち読みから自分の部屋で読むようになった98年〜99年と小学校6年から中学時代でジョジョ5部のラストは絵的にも衝撃でした。

そんなジョジョの奇妙な冒険第5部は、連載開始は、阪神淡路大震災の影響で関西圏は未曾有の被害に遭い関東では、新興宗教オウム真理教霞ヶ関の官僚と政府転覆を目指して地下鉄サリン事件を起こした年ですが、著者の荒木飛呂彦先生は、既に舞台を6年後の2001年という21世紀の作品を20世紀末に書き始めたのです。つまり、2001年のジョルノジョバーナは15歳なので、単純な引き算で1986年生まれで同い年です。親近感が非常に沸くキャラクターです。

原作漫画版は、中学の時に読破したので、アニメ版は尺が足りるのかと心配。1話はいきなりオリジナルシーンが入るが、3部のスージーQと承太郎の会話など原作シーンはないが、オリジナル演出で高評価が出たアニメは、近年でジョジョくらいではないだろうか?って言うくらい製作陣の思い入れのある作風なのでしょうね。

いきなりのシーンでは、イタリアの裏社会で表向きの観光名所だが裏路地では薬物の腐敗を匂わせる裏路地を歩くジョルノが、輝かしい陽の明るい観光地でスリに遭う観光客から財布を取り返すが、勿論、無料ではなく、相応の対価を頂く、という今までの歴代「ジョジョ」とは違いますね。ビール飲んでる承太郎も「アレ」ですが、自分が一番好きな紳士ジョナサンからはあり得ません。原作では、4部の広瀬康一との出会いから始まるが、アニメ版では、あくまでもジョルノが最初から登場する憎い演出になってます。

スタンド使いは惹かれ合うッ!4部ラストで修羅場を潜り抜けた広瀬康一をカモにしようとするが、成すすべなく重力の付加を受けて逃走。トランクに生命を与えて別の生き物にする。最初から能力がチートすぎて絶句。しかも、この後、トラブルで死ぬことになる涙目のルカは、栄えあるゴールドエクスペリエンスの犠牲者第一号です。マフィア作品という堅気以外には容赦がないスタンド能力だが、堅気で且つ手加減した康一くんは軽傷で済みました。本当にいいキャラで声優さんの起用でジョルノの異常さが伝わってきます。また、承太郎に結果を報告する際に、ジョルノを爽やかな奴と形容します。そして承太郎から彼(ジョルノ)の父(DIO)を殺したのは自分だと打ち明けられる。そこで眺める写真は、かつてエジプトで亡くした友が映った一枚。そこには、全ての幽波紋の元凶であり矢をエジプトで発掘したその人(ディアボロ)で、5部のボス(ディアボロ)に破れて既に再起不能になったポルナレフも写っている。

涙目のルカが事故死したことにより、ジョルノの運命が動き出す。ルカを始末したと思わしき人物を探して、マフィアのブローノブチャラティが動き出す。
ジョジョ5部は奇妙な展開が目白押し。ジョルノの能力も、生命を与えるという認識以外で相手に跳ね返したり、物質に変換するなど、読み込まないと分からないのに。既に始末された涙目のルカの目玉や指が、指の間や口の中に入ってるという奇妙な展開。しかも、この瞬間までマフィアに話しかけられてからスマートに返して無事難を逃れたと読んでいて(「ホッ」)と安堵した瞬間。この漫画は、ジェットコースター。安心させて突き落とすは醍醐味で、ホラー漫画本を手掛けてホラー映画好きの荒木飛呂彦だけのことはある。

何か分からないが、同じ能力の相手に「ヤられる」危機感から、ゴールドエクスペリエンスを発現させてブチャラティを迎え撃つシーンでお終い。

早い。脳内アドレナリン全快だったせいか、生粋のジョジョラーだったせいか、30分どころか、5分程度に感じた。もしかして既に時が吹っ飛んだのかな?(壮大なネタバレ)

いや、マジで最高!!最高にハイって奴だ!!

いいか皆さん、ジョジョ5部は、推しが!死ぬぞ!覚悟はいいか?俺は既にできているッ!!ていう作品で、すぐキレる癖がある自分は、キレるフーゴに親近感が沸くが、この作品で死なずに離脱するという悲しいキャラが推しなんだぞ!!(笑)全巻購入特典は、当然、「恥知らずのパープルヘイズ」ですよね??

天皇という名を見るだけで思考停止すべきではない

「今上陛下で思考停止して良いのか?」

 


自身も今上陛下が即位以後、一度も英霊を慰霊していないことに対して想うことはある。こうした意見を「天皇」の名の下に金科玉条にして、思考停止して良いのだろうか?当然、こうした声があっても問題とは思わない。

 


天皇と雖も、律令国家を築いて太宰府防衛で領土を固めた偉大な天智天皇建武式目を定めて鎌倉幕府を打倒した中興の祖である後醍醐天皇、明治近代化で我が国を世界に伍する国にした偉大な明治大帝の名君と賢君は存在した。一方、胎児を見るために妊婦の腹を裂き継体天皇の即位がなければ皇室を潰しかけた武烈天皇、人妻だった藤原薬子と不倫関係にあり後々に災いして桓武天皇平城京に追放あれた平城天皇、父村上天皇への手紙に男性器を描いて送る奇行に及んだ冷泉天皇など暴君から暗君まで歴代125代天皇が存在する。

 


賢君に名君から暗君から暴君まで存在する以上は、一概に「天皇」で思考停止するべきではなく、そうしたどうしようもない天皇が存在したからこそ大日本帝国憲法を始め古代から摂生が活用されてきたわけである。つまり、天皇の名の下に思考停止するのではなく、各天皇の足跡から判断せざるを得ない。ただ、今上陛下が即位以降、一度も靖国神社の英霊を参拝していない以上は、こうした意見が出てもおかしくないと自分は思う。

 


なぜ事実を述べただけで、批判と捉える必要があるのか謎。批判でも建設的批判とそうでないものに峻別できるはずである。この批判ないし意見は、それこそ無意味なものではない。

 


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180930-00000017-pseven-soci

公式ミスかな?!

「公式ミス?」

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とある女友達のInstagram見て気付いた。

これって浣腸のポーズ?とあり、よく見ると天津飯の気功法と全然違った。こういう間違いに気付くのはIQが高いのだろう。
10枚も買って削っててたのに全く気づかなかった!

そもそも、どうしてドラゴンボールクラッチ天津飯が、浣腸のポーズしてるのか意味不明wwww原作でもセル、ブウを止めた唯一の名シーンなのにwww

絵を描いた奴も、これで印刷した奴も、ドラゴンボールへの愛情皆無だろこれ。

「杉田水脈氏発言は問題か?」

杉田水脈氏発言は問題か?」

毎日新聞は21日、週刊新潮45の8月号に杉田水脈衆議院議員(自民党比例中国ブロック)が、寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」を問題視した記事を掲載した。果たして、毎日新聞の問題視と批判は適切だろうか?

毎日新聞の大村健一記者の主張は以下だ。「性的少数者のみならず高齢者や子のない夫婦も否定するかのような内容で、批判が広がっている(https://mainichi.jp/articles/20180722/k00/00m/040/028000c)という内容だ。

実際、週刊新潮45を購入してみた。杉田水脈氏の主張は以下だ。
朝日新聞毎日新聞などリベラルメディアが権利の確保を謳い差別の解消を唱えているが、本当にLGBT差別は存在するのか?
②日本でLGBT差別が問題になっているのか?そもそも日本は、同性愛を禁忌とするキリスト教社会やイスラム社会のように、時に命を失うような迫害は起こってこなかった。社会構造そのものが違う。
LGBT当事者の被害事例は社会的差別よりも、親の無理解が大きい。
④当事者の問題は制度を変えることでは解決し得ない。こうした社会制度と「生きづらさ」を行政が解決することは否定しないが、行政が動くことは税金の使用を意味する。また、不妊治療のケースとは異なり、LGBTカップルに税金を利用する大義名分は何処で大多数の国民は納得するのか?

という以上、前段の内容が毎日新聞が過度に批判にさらされている。しかし、実際には、税金の利用で、大多数の国民から理解が得られるのか?と言い政治学の定石である功利主義の最大多数の最大幸福の観点から、疑問を呈しているに過ぎない。

杉田水脈氏の発言は、公器である新聞で五大紙の毎日新聞が、目くじらを立てて批判する内容かと言われると大いに疑問符が付く。功利主義に基づく政治学の常識を話しており、政治学者Dリースマンは、「政治とは希少資源の再配分」と定義しており、税金の観点に国会議員がシビアになるのは当然だろう。この時点で、毎日新聞の批判はイデオロギーに拘泥しており、批判に該当し得ない。

ただ、毎日新聞の批判は妥当性がないのは言うまでないが、杉田水脈議員の発言が全く問題ないとは言えない。私が思う問題点は、③における事実誤認と④の前段による内容にある。

杉田水脈氏が主張するLGBTの問題点は、家庭内における親の無理解という当事者と家族の問題だろうか?私は絶対に違うと思う。それは、2015年4月に一橋大学法科大学院生が、ゲイであることをバラされて自殺に至った(一橋大学アウティング事件)のように、当事者と家族の問題だけでは済まないことが周知の事実となった。こうした問題を受けて④の朝日新聞毎日新聞が、LGBTの権利拡大を歌い、差別解消を唱えることには、社会的利益と正義の片鱗はある。とはいえ、今回のピンボケした毎日新聞の批判は肯定し得ないことは再度強調しておく。
少なくとも、杉田水脈氏が主張する③は事実として間違っている。当然、事実誤認から派生する④も誤りで、一橋大学は国公立の大学で独立行政法人である以上は、一定の範囲で解決は税金で解決を図る他仕方ない。

以上から結論を述べると、毎日新聞杉田水脈氏へのピンボケ批判は妥当性を欠いている。しかし、一方で杉田水脈氏が主張するLGBT問題は、当事者と親の無理解程度では済まず既に一橋大学法科大学院生の人命が損なわれる社会問題となっている。なので、当然③と④は誤りで、杉田水脈氏の楽観的な主張である①の日本でLGBT問題がストレートにカミングアウトできるのか?という主張には大いに疑問符が付かざるを得ない。f:id:yuukiboubiroku:20180722190809j:image