「命の認識」

「命の認識」

人工妊娠中絶を捉える際に、宗教を背景とした倫理と法の権利など「命の認識」が当事者によって異なる。視点の異なる者共が、議論をしても、一致を垣間見ることや合意の形成は難しい。しかし、人の繁栄と命は切っても切れない。

人工妊娠中絶の問題を扱う場合に簡易な二項対立ないし二元論で展開される。
一般論である宗教を背景とした価値観と倫理、女性の権利と法である。
こうした問題が中心となるのが、キリスト教圏内である。南米などカトリックが強い地域は、宗教に基づく倫理観支配が強く、強姦などの場合でも、命を奪うことは、教義による断裁として、強姦された憎むべき相手の子を産むことを美徳ないし善として押し付けられる。
反面で、プロテスタントが強い国では、強姦などの場合は、望まぬ妊娠を、女性の権利として保護する価値観が主流だ。とくに、長らくアメリカでは問題として揺れたが、合衆国修正憲法14条と最高裁判例(ロー対ウェイド事件)にて、中絶は女性の権利として、堕胎を禁止する法を違憲として理性が断裁した。

欧米では、こうした宗教背景に基づく倫理の強制と、女性の権利と法が対立する構造が顕著であった。
しかし、我が国の場合は、欧米の影響を受けながらも、倫理と権利の折衷案で、現実を重視してきた。未成年者による妊娠など、合理的に、倫理や権利と考えるよりも、現実に即して、中絶堕胎としてきた。他にも、売春婦による堕胎など、職業上と貧困及び倫理、発達障害など、様々な諸条件が勘案されており、一長一短では、答えはでないだろう。
けれども、硬直化することが一番の問題であり、現実に即したものでなければならず、前提として倫理として、中絶や堕胎が起こらないことが望ましいが、起こった場合は、現実に即して権利としての堕胎という倫理と法が対立せず二段構えで、人の不幸を減らし、命の認識促進が一番大切であると言わざるを得ないだろう。

 

https://news.yahoo.co.jp/feature/613